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民主主義と時間泥棒

小数点以下の数字について思うこと。


以前、コールセンターの管理者として働いていた際、電話の対応時間を減らすことばかり考えていた時期がある。

一日に2000件前後の電話に対応しなければいけないので、
1秒短縮で2000秒、
1分短縮で2000分、
というふうに、どうにか同じ人員でなるべく多くの電話に対応しようと考えてた。

こうゆうことってほかにも似たような例えがある。
例えば「日本国民全員から1円ずつもらったら」とか。

で、気になったのがTV版の攻殻機動隊でのこんなエピソード。
ある組織が資金調達のため、日本中の金融機関で毎日発生している、1円以下の利子(つまり昔であれば”銭”の部分)をハッキングしてかき集めた、という。
考えたことなかったけど「そうかー、金額は1円にすらならないかもだけど、実際には利子が常に発生しているんだもんなー」と妙に納得した。

なんか、そんな認識すらされず切り捨てられていく”0.XX円”にどこか悲哀を感じて、多数決によって抹殺される少数派の声のことを思った。

か弱い声はかき消されて、誰の耳にも届かない。
けどそれは紛れもない意思であって、なかったことになんてされちゃいけないんじゃないか。
そんなことを思った。


あ、あと陸上選手とかでもなければ、日常”0.XX秒”のことなんて考えない。
日々、全く認識されない”0.XX秒”がたくさん生み出されていて、貴重な時間は浪費されていく。
それは確かに存在し続けていて、こんなことを書いている今も生まれている。


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昔、ファミコンやスーパーファミコンの中古ソフトを買うと、他人がプレイしていたデータが残っていることがあった。

ラスボス直前とかの、主人公がすごく強いデータがあると遊んでみたりしてみたこともある。

(逆にすごく中途半端なデータしか残っていなくて、「途中で飽きてやめたのかな、つまんなかったのかな」などと思うこともあるけど)

他人の勇者を借りて冒険してたわけだ。

そう考えると、俺の育てた勇者もまだどこかで冒険してたりするのかな。

昔は大抵「せっふぇ」という謎の名前をつけてゲームをしたものだけど、その「せっふぇ」がもしかしたら今もどこかで活躍しているかもしれない。

俺の育てたせっふぇが。

「ネットは広大だわ」とはよく言ったもんだ。

ソフトの数だけ世界が広がっていて、

ソフトの数だけ主人公たちの大冒険があるわけだから。

「よくぞ戻ったな、せっふぇよ」て、いつか言ってあげたい。

笑う覚悟

今日、某飲食チェーンの心温まる話を読んで感じたこと。

 

話の内容は、ある人が自宅で食べるために持ち帰りにした商品を、購入した店の前で落としてしまった。

すると、それに気付いた店員が商品を無料で作り直してくれた、ということだった。

 

うん、とても素敵な対応だと思う。

素晴らしい店員さんだ。

でも、おれはどうしても商品を落とした人のほうに目が向いてしまう。

自己責任だろ、と。

店員さんの申し出を断ったがそれでも店員さんが、というようなやり取りの描写もあったのだけど。

 

おれって本当に性根の腐った人間だと思う。

いつもこういう視点で物事を見てしまっている。

なんでこんな人間になってしまったのか。

 

これって、おれが悪意に対して鈍感だからだと思う。

道で人にぶつかられると舌打ちをしてしまうとか、

満員電車にイラついて無理に体を押したりとか、

非常に小さなことだけれど。

自分がやられた時のことを考えれば、そんなことしないのに。

ほんの少しの想像力が、咄嗟にできない。

 

もう少し優しい気持ちで過ごすようにしよう。

私語がうるさいパートのおばさんにも笑顔で接しよう。

やりかけの仕事が転がっていてもイライラせずに進んで片付けよう。

ほんのちょっとの心がけで、物事を前向きに肯定できるようになるかもしれない。

 

嫌なこととか、不安なことを笑える人間になりたいなあ。

今はもう会えない友達へ

飲みに行くと、隣で飲んでる知らないおっさんと仲良くなることが時々ある。

「こいつ仕事してんのか?」ておっさんが昼間っから酔っぱらってるような飲み屋が好きだ。
きたなくて、安い。
そうゆう飲み屋に一人で行くと、常連のおっさんがたいてい酒やらつまみやらをおごってくれる。
そうゆう店にいるおっさんたちは、俺ぐらいの年代のやつがそこに一人で来るのが嬉しいみたいで、話しかけてきておごってくれるのだ。
そこから意気投合して一緒に酒を飲む、てゆう流れ。

一緒に何軒もハシゴして飲んだり、カラオケを聞かされたり、おすすめの酒やその店で飲むときの流儀を教えてくれたり。
でも、どんなに仲良くなっても、どのおっさんとも再会したことがない。

連絡先を交換したり、次に飲む日時を約束したり、同じ店に通ったりしても、会えないのだ。

まあ、酒の席での話だから単純に覚えてないとか、その場のノリで楽しくしてたけど本当は腹立ててたとか、あるかもしれないが。
二日酔いの頭で昨夜の出来事を思い出すとき、なぜかキツネに化かされたような感覚を感じてしまう。
あれは何かスペシャルな出来事だったんじゃないか、と。

「実は某大企業の社長で、今日はお忍びだからこんなみすぼらしい恰好なんだよー」
「職業?俳優だよ、俳優。アクター」
酔っ払いのホラ話だと思ってたけど、実は本当だったんじゃないか。

「今5軒目。あと2軒行くんだよ、これから」
お酒の神様がいたずらに訪れて、一杯おごってくれたんじゃないか。

今夜も、きたなくて安い飲み屋に、おっさんは現れる。
酒をおごって、くだらない話をして、スペシャルなサムシングをみんなに起こす。

んー、お酒って魔法だ。

今夜も飲みに行こう。

戦闘員AからFまで、おまえらクビな。弱すぎてオレ萎えちゃう。

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消防士モノのマンガ「め組の大吾」という作品にずっと考えさせられていることがある。
ドラマ化もしたので知っている方も多いと思う(ドラマはひどかったけど…)。

ざっくり説明すれば、ハチャメチャながらも人命救助という点において類稀な才能を持つ消防士“朝比奈大吾”が、救助の理想と現実に悩みながらも消防士(後にレスキュー隊員)として成長していく姿を描いたド根性消防士マンガ、といったところ。



考えさせられている、というのは物語のクライマックスで、大吾と親友の甘粕が語り合うシーン。

世界最高のレスキュー隊員(!)として全世界的に認められた大吾なのだが、あることを甘粕に指摘される。
「人命救助という大吾の才能が、大きな災害や事故現場などの悲劇的な場面でのみ輝くものだということ。そしてその才能は、皆に求められながらも本当は消滅を望まれている(悲劇を伴う、という意味で)」
というような内容。



そうなのだ。

火災が発生しているから、大吾が活躍できるのだ。
実際この漫画の中でもたくさんの災害や事故が起きるが、それは大吾の活躍を描くためだ。

そもそもそうゆうことを描くお話なので何も起きない、てわけにはいかないけど、でも本来それって矛盾してないか、と。



正義の味方だってそうだ。

“悪の軍団”とか“世界征服を目論む秘密組織”がいるから、“正義の味方”が登場しなきゃいけない、否、活躍できるのだ。

そうゆう意味では、悪の軍団(影)を生みだしているのは正義の味方(光)とも言えるんじゃないか。
もちろんそんなに簡単に善悪って言えることは実際にはないけど、でもいつも思うのだ。
「正義の味方たちよ、お前ら本当に必要か?」って。



これを読んで以来、マンガだったりアニメだったりを観るときにそんなことを考えるようになった。
いつかそんなネタで自分でもお話を書いてみたい、と思ってます。



ちなみに「め組の大吾」では、
「火事が起きなくてつまんねー!」
などと不謹慎なことをわめく大吾と対比して、陰で地域の防火に努める消防隊員たちの姿も描かれていて、そういった部分でも少年マンガながら個人的には印象深い作品だった。

*1

オオカミ少年も「こころ」を取り戻す(ただしゲームの中で)

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「ハイドライド3」というファミコンソフトを、小学校のころに初めてプレイした。

当時としてはかなり斬新なシステムを採用していて、時間の概念があって食事や睡眠を摂らなければいけなかったり、持ち物や装備品を持てる重量制限があって重くなりすぎると動けなくなったりする。
そのシステムが、当時の俺にはハードルが高かったということもあり、非常に印象深く覚えているゲームだ。

中でも特に印象的だったのは「こころ」というステータス。
主人公の「いいひと」度合を数値化したもので、これが悪くなると商店の販売価格が高くなったり、入れてもらえないところがあったりする(逆に悪くないと入れないところもあるけど)。
この「こころ」なのだが、基本的には「わるいモンスター」を倒していくことで徐々に上がっていく。
逆に「いいモンスター」を倒してしまうと下がってしまうのだが、この下がり方が尋常じゃない。
「わるいモンスター」を100体ぐらい倒すとやっと1上がる、程度のステータスが、「いいモンスター」を1体倒しただけで、40ぐらい下がる。
要するに「いいモンスター」1体が、「わるいモンスター」4000体に匹敵するわけだ。
この下がり方は非常に恐ろしく、誤射で倒してしまった時の衝撃は今でも忘れられないぐらい。
でもこれ、現実世界だったらどうかなあ、と。

一度ついてしまった印象とか、失った信頼とか、4000倍がんばれば取り戻せる、なんて保障があったかな。
最悪、二度と取り返せないこともたくさんある。
残酷なようでいて、今から考えると「何度でもやり直せるよ」って、背中押してくれてるのか。
そうか、これがもしかして希望ってやつか。

幼き日の俺を打ちのめした、現実の厳しさ。
大人になって気付く、ゲームの優しさ。